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【Voicyフェス感想】DAY3ステージBひうらさとる×のもきょう『わが子をしあわせにできてるかな?』🎧11/30まで聴ける!

 

voicy.jp

漫画家ひうらさとるさんと、マレーシア在住、文筆家ののもきょうさんの対談です。

日本とシンガポールの教育の違い

日本でお子さんを育てるひうらさんと、シンガポールでお子さんを育てるのもきょうさん。

シンガポールでは、教室で座らない、低学年は床でゴロゴロするから敷物あり、等の状況にとても驚いたということ。

勉強は我慢して、みんなで同じ教育を受ける、校則が厳しい、等々の中で育った親としては「こんなんでいいの?!」と衝撃の連続なんだとか。

親のアップデートが教育のアップデートに追い付かず、「宿題を出してください」とかいう人も多くて、難しいことだよねというお話。

日本では、保育園・幼稚園、まれに小学校では子供主体の、興味の向く方向を伸ばそうという教育がだいぶ発展しているけれど、中学になったら急に校則が厳しく、コントロールするルールが強くなり、統制されることに慣れる、という状況が生まれているとお話されていました。

小学校までは「こういうお仕事をしてみたい」「将来の夢はこれ」という話がよく出てきたのに、中学校に入ったとたん、進路選択がテストベースになり、進学するのが普通でしょ、とか、就職もこの程度でしょ、という雰囲気が見えてしまったのを覚えています。

高校に行っても、大学にいっても、「こんなことがしたい」と語りあうことはできず、夢を話す人を大っぴらに揶揄したり、否定したりするムードはありました。結果、やりたいことがない、大人になりたくないと思ってしまう自分がいたのを思い出しました。

今の時代、「スクールオブロック」の先生がいいんだよ!!!

スクールオブロックミュージカル映画なのかな?先に浮かんだのが、ラジオ番組なんですが・・・。

 

子供に合わせて、「おまえはこの曲を聴け!」とか言うらしいんですが・・・。あまり作品に触れたことがないので、観てみようと思います。

公開された当初はきっと、こういう先生は異端だったのかもしれませんが、課題等も、相手の進捗や興味に合わせて行うのがよいとされ始めている昨今、一つの理想の教師像となるのではないのでしょうか。

ゆとり教育は正しかった!

現在の19歳~30代半ばはゆとり教育というものを受けています。総合的な学習がはじまり、土曜日の午前中のみの授業はなくなりました。

私はゆとり教育導入時に中学生になったころなのでよく覚えています。学校でも先生たちが困惑しているのを感じていたし、保護者達の「そんなのでいいの?」という反応があったのもよく覚えています。大学に入学~就職した当初も「ゆとり世代~!」と馬鹿にされ、これだからゆとりは、なんて枕詞からのお説教タイムは当たり前でした。

 

岡田将生が美人ですよね。

本当に、「なにか?」てかんじで説教はかわしていましたが、後輩が結構傷ついていたのは覚えてます。結局、今は何教育なの?て感じですが、逆に学習塾にたくさん通わされる子供が増えて、「悟り世代」みたいなのが生まれた記憶があります。なんだったんだあれは。

ゆとり教育は正しかったんですよ!とお二人が強く言っていて、とても救われました。

学びに関して、学校の先生が研究する時間や、学校によってスタイルを変えるというのも大切だな~と思いました。実際問題、教員の勤務時間の長さは問題だと思いますので、自分ができることって何なんだろう、とちょっと考えてしまいました。PTAやなんかの活動で、現状を見ていかなくてはいけないな。

学校、学ぶ姿勢にやる気を出すには?

指導者、学友、カリキュラムのどれかを子供が信頼するとやる気がでる、ということを話していて、めちゃくちゃに納得しました。

私は、小学校低学年の頃ははたから見れば完全に勉強面では落ちこぼれでした。

小4まで掛け算できない、「水道」という漢字を「みずみち」と10回以上書いて提出(何回かいても○もらえなくてカンニングした)、ランドセルを持たずに登校すること多数

でも、学校の先生も、友達も大好きでした。そんな私のことを、たしなめることはあったかもしれませんが、否定することはなかったからです。カリキュラム的にも、当時通っていた学校は田舎にありましたから、のびのびとしていて、いい環境だったと思います。途中で転校した学校では、勉強を教えてくれる友達や、私のいいところを見てくれる先生がいたので、多少疑問に思うことはあっても、「家もいいけど学校も好き」という状態でした。

大学では最初はなかなか友人はできませんでしたが、「ここではある程度勉強をするところ」と思っていたし、授業も選択できたので、楽しかったです。学部とは関係ないアイヌ文化の授業を選択してみたり、イスラームの文化についての授業に入り込んでみたりは楽しかったです。レポートがテキトーすぎて批判されたのもいい思い出です。(先生には悪いけど)

要は、ある程度の年齢になったら、大人からの「過干渉」は毒になりうるということなのだなと痛感しました。

私たちは誰かを幸せにすることはできない。

結婚して相手を幸せにすることも、子供ができて幸せにすることも、不可能。

幸せになるのは、自分でなるしかない。

だから、誰かが幸せになろうとする道を阻んだり、「こっちにいけ」と無理やりなにかをやらせたりすることは、よくないし、幸せから一番遠いことなのだと思います。

幸福度の指針は自己決定権がどのくらいあるか、という点に尽きる。

私はこれを食べたい、食べることができる。

今日着る服を選ぶ

髪型を選ぶ

こんなふるまいをする

こんなことを学ぶ

人生は、選択の日々です。

その訓練を子供に積ませて、否定せず、見守る。

「木の上に立って見ると書いて親だから」というキーワードが出て、いろいろなところで、今は子供の行動を観察するのはいいけれど、監視するのはよくないといわれているのが良くわかりました。

子供のやることは子供に聞く。

自分が何か失敗して批判されたら素直に謝る。

子供を子供として甘く見るのではなく、人格のある、決定権のある、一人の人間として、尊重していくのが大切ですね。

親も幸せになろう

最後に、保護者の幸せについても触れていました。

子供のことばかりに集中していると、親(とくに母親)が人生を楽しめないということ。

乳幼児を育てていると、自己犠牲が必要になるシーンが増えますが、そうはいってもやっぱり、私たちが楽しそうに生きていないと、子供に「人生はたのしいのよ」なんて言えませんし、自分が我慢しているのによこで家族が楽しそうにしてたら目茶苦茶腹が立って、いきなりキレる!みたいなヒステリーを起こすことが出そうです。

息抜きや、自分の幸せについて考える時間も持ちながら、楽しく家族と暮らしていきたいなと思いました。

本当に、気づきや「これがいいよね」と思わせてくれる、素敵な対談でした。

 

 

 

 

 

 

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