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【読み聞かせ】フランダースの犬を読んで、どうして?が出ました

 

いろんなフランダースの犬があるんですね。

先日、夫の実家から大量の絵本が送られてきました。

その中に、「フランダースの犬」がありました。

母だけ号泣。

フランダースの犬って、本当に希望がなくて、悲しくなりますよね。

途中、「ネロっていいやつだな」とか思うポイントはあるんですが、ネロが良い子な分、とても悲しい!

泣きそう、と思ってはいたけれど、「おじいさんがしんでしまいました」の部分で泣いちゃって、そのあと嗚咽で読めなくなるくらいずっと悲しいことが続くので離れて寝転がっていた夫が軽く引いていました。

どうしてこんな小さい子を放置できるの?とか、お金持ちの家の父親がひどすぎる!とか思って、最後「大人たちはこうかいしました」と言って終わるのがしんどかったです。

どうしてネロはこんな風に死んでしまうの?どうして働いているの?

ハム子(小1)が聞いてきました。確かに、自分と同じくらいの年ごろであろうネロが重労働、ひどい目にあうということはショックだと思います。

ネロはどう見ても小学生程度。低学年くらいでしょうか。

オープニングから、おじいさんと一緒に極貧生活を送っています。牛乳を運ぶだけではやはり暮らしは楽にならないでしょう。

大昔なんて、子供だって労働源。仕事を手伝ったりするし、その子が悪さをすれば、ひどい扱いを受けます。

昔は、子供に人権が無く、(今でも、小さいかもしれない)お金のない家の子供は学校に行くことが出来なかったのだと言うとびっくりしていました。

ハム子にとって、学校はつまらなくても行かなければならない場所というイメージなのかもしれません。

母の長い話。

昔はこうして小さい子供でも、話しが通じたら労働者として扱われるものだったの。でも、ネロみたいに労働や飢えや貧困によって、死んでしまう子供(だけでなく大人も)がたくさんいて、「反省した」大人たちがルール、つまり法律を作ったわけ。

親を失って、だれも保護してくれない時は保護施設や、一定以上お金のない人には生活保護、その他エトセトラ、ということで、幸せに生きるチャンスをみんながつかめるように、というルールです。国や地方自治体によって違うけれど、住んでいる場所のルールで保護を受けられるし、それを求める権利が私たちにはあります。

もし、仮に、万が一、パパやママが死んでしまって、おじいちゃんおばあちゃんもあなたたちのことを育てられない場合は、きちんと施設に入ることができるはずです。心配しすぎないように。

みたいな長い話をしました。

子が寝ても、心はざわつく

私の長い長い話で子供達は眠りました。

もし本当に、だれも保護する肉親が現れなかったらどうしたらいいんだろう。子供達は一体どうなってしまうのだろう。

その日は全然眠れませんでした。

子供達が、すやすや眠っている、この姿をどのくらいみていられるんだろう。

全くの健康体(ただし風邪はひいていた)なのに、妙にしんみりした気持ちになり、翌日からの車の運転はより慎重になりました。

名作、と言われる昔ばなしに思うこと

子供がひどい目に合っている話はあまり読みたくなかったのだけれど、どうしても避けては通れないし、いつかは読んだり聞いたりするものだなと思います。

昔の「世界名作劇場」系の話には、「余裕のない大人」とか、「性格の悪い大人」とか、「いじのわるいやつ」がたくさんでてきて、主人公たちに害を及ぼします。

最近のアニメや漫画だと、あまり出てこない気がするのは私だけでしょうか?みんな、子供に親切だったり、ものすごく余裕があったり、心配する程度で害を及ぼすようなことはしないんです。「子供はだまってろ!」とか乱暴に言うおっさんは少ないんです。

社会全体で、「こういう言い方はよくない」と思うからこそ、そのようなつくりになったり、話の長さの関係である意味ややこしいキャラクターは不要なのかもしれませんが、社会に出ると、めちゃくちゃ面倒なキャラ、いますよね?!

外海に漕ぎ出して一番最初に驚くのはそのような存在。理不尽とはこのことか。

変な人も、時間をかければ味方になってくれることもあれば、ずっと別の世界を生きることもある。そういう疑似体験ができるのが、昔ばなしのいいところ?なのかもと思ったりしました。

 

サザエさんの作者、長谷川町子さんは、いじわるばあさんを描いたとき、サザエさん一家が良い人すぎて疲れちゃった、というようなことを言っていたそうです。

やっぱり、良い人は疲れるんです。

物語と自分の置かれた環境を比較して、考えを持つ

昔はどうしてこうだったの?という気づきも得られます。どうして今はこんなに快適なのに、昔は大変だったの?逆に、今はどうしてこのような環境なのだろう?今、自分が置かれている環境はだれがどのような想いをもって、変えてきたのか?プラスにも、マイナスにも考えられますよね。

今回、「どうしてネロは死んじゃったの?」「どうしてネロはいじめられてるの?」という娘の気づき、すごく大切だなと思いました。

どうしてだろうね?と聞き返しつつ、私はこう思うよ、いいところに気付けたね、など、たくさんお話を(ほぼ一方的にですが)しました。

自分が思ったことを発表する、という場は、小学校ではまだ少なそうですが、私ができそうなことを、少しですがやっていきたいなと思いました。

絵本の読み聞かせが加速!

寝室に本棚を設置したところ、子供達からの「読んで」攻撃が加速し、毎晩のように30分は読むことになっています。

リビングで読むようにしたいのだけれど、リビングにいる時間は私が他のこと(主に家事)をしなければならないので、やっぱり寝る前がいいのかな。

私も、久しぶりに読む絵本が多くて、わくわくしています。

先日は、「赤毛のアン」を読み、絵本だけでなく、文庫本もまた読みたくなりました。これも、めちゃくちゃ泣いてしまいます。

 

 

訳者が違う版は読んだことがない。

やっぱり村岡花子版で育っているが・・・今度、探してみます。

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