夫の祖父がそろそろ危ないらしい。
夫がしょんぼりしながら帰ってきて、そう言った。
親切で、紳士的で、いつも私たちを大歓迎してくれて、色んなことを精力的に取り組んでいたのに。
もうお年だもの。
そんなこともあるよね、と。
年齢を考えると、大分長生きしたようにも思えるけれど、お会いしたのも数える程度。
自分の親も、子供からみたらそんなものなのかもしれないと思うとなかなかに来るものがあった。
100歳まで生きる。
母親の目標らしい。
まだ引っ越した我が家にも来ていない。
心臓に爆弾を抱えている人なので、興奮させてはいけない。
飛行機も、あまりよくないんだろうな。
たまに、畑の様子を伝えると「そっちはもうそんなに育つんだね」と喜んでいる。
私の草花好きは母親の影響。
百合を父親にほじくり返されてブチギレていた母。
シクラメンが咲いた、サボテンの花が咲いた、実のなる木が欲しい。
久しぶりに夏の実家に行くと、知らない植物が増えていたり、その庭の作り方のチグハグさが、自分の庭作りとそっくりで笑ってしまう。
父はもう亡くなってしまったけれど、母が亡くなるというイメージが全く持てない。
今のところ定期的に通院し、医師の指示通りに薬を飲み、適度に働き、畑をたがやし、花を愛でる生活をしているらしい。
もしまた発作が起きたら?介護が必要になったら?自分はどうするんだろう。どうしたいんだろう。遺産は無いとして、家はどう仕舞えばいいんだろう。
そんな事ばかり考えてしまった。
親が死んだらようやく大人になる
と母は言っていました。
やはり、頼れる先が居るとそれだけで甘えるものなのかもしれない。
確かに、私も帰省するたびに母親ではなく娘になる。夫も、父親ではなく息子になる。祖父母の前では孫になる。祖父母には、三十半ばになっても夫はおしめをした可愛い赤ん坊に見えるようだ。
私も子供達の親なので気持ちがわかる。きっと、何十年経っても私の可愛い赤ちゃんなんだろう。
帰るたびに思う。
母がどんどん細く、小さくなっていく。
寄りかかれば折れてしまいそう。
ガラケーは保証期間が終わってしまったので、強制的にスマホに変えさせられてしまったようだ。
使い方がよくわかっていないのか、たまに誤変換のままメールが来る。
認知症?!
と焦ってしまうが、今のところ大丈夫そう。
でもいつかはその時が来てしまう。
それがすこしでものびてほしい、でもいつかは必ず来てしまう、準備もしたく無いのに。でもしないと困る。思考が止まる。
今の私にできる事は、帰れるタイミングを作り、帰って顔を見て観察。
ちょこちょこと、連絡を取る。
親戚とも、連絡を取ろう。
できることから、やっていこう。