親業がつらく、それを茶化すのに「私って奴隷…」とよく発言していたんだけど、あぁ、ちがった、そういう徳を積ませてもらってるんだ、と再確認しました。
ちょっと前に、瀬戸内寂聴の本を読んで、なんかそう思いました。
確かこれだった気がする。
世の中のしがらみや、上手くいかないことはたくさんあるけど、お釈迦さまはこう話しているよ、と分かりやすく書いてありました。
子育ては親育てとよう言うけれど
子育ては自分育て、子供なんて10歳くらいから親と遊ばなくなる、遊んでくれなくなる、構ってくれなくなるから今が華だよとよく言われます。
ハム子が小学生になって、だんだんとその意味が分かってくるのですが、それでもやっぱり「ママ!ママ!」といちいち呼ばれて、自分のことが出来なくなるのがしんどい。
そう思うこともたくさんあります。
一生懸命作ったものをまずいと言われたり、食事や飲み物をあらいたてのカーペットにぶちまけられたり、トイレに誘った後におもらしをしていたりするとやっぱり「しんど…」てなります。
徳を積ませてもらっていると考えると、いいのかもしれない
遊んでやっている
育ててやっている
という気持ちを捨てなければいけない、と再度心に刻むことにしました。
だって、子供は「私たちを作ってくれ」と頼み込んで世に生まれてきたわけじゃないんだから。
私が「子供が欲しいな」と思ってこの世に招いたのだから。
彼女達が来たことで、私の生活は、身体は、心は、全て変わってしまいました。
強制的に変えてくれました。
外食ばかりで、お酒を飲んで、掃除も大してしないで、ちゃらんぽらんでもオッケーだった私ですが、
子供は食べられるものが限られてるし、お酒は受け付けなくなったし、片付けないと子供が怪我するから大分頑張るようになりました。
夫のサポートもあるけど、やっぱり子供がいないとここまで変わらなかった。
彼女達が色々と持ち込んでくれるおかげで、頑張るチャンスが私に舞い込んだなぁと。
食べ物や何かがこぼれないと、床を磨いたりしません。そう思うと、徳を積ませていただいているのかもなぁ。
辛いものはつらいけど、辛いだけじゃないと思えるようになってきた
お子様達が少し成長してきて、身体的な辛さが解消されると、辛いだけじゃなく、楽しいことを共有できたり、生まれたての写真を振り返って「こんなに大きく?!」と感動を覚えるようになりました。
心の余裕を作ろう、時間の余裕を作ろう、と工夫する気持ちが芽生えました。
奴隷なんかじゃなく、修行の身と考えることで、明るい明日がある、今が尊い、とより強く感じることができます。
中の人いっしょですよ、安心してください。
今日どうした?!てなると思いますが、キラキラInstagram風に言うと、「毎日子供達にハッピーパワーもらってます!」みたいな感じです。
前とは幸せな感じ方が変わって、悪い方に考える癖を少しずつ変えることが出来たなーという。
幼少期から比較的仏教に親しみながら生活していたので、それ系の本は抵抗なく読みます。逆にキリスト教とかはよく分からなくて、噛み砕いたやつじゃないと難しいですね。
聖⭐︎おにいさん
が結局ちょうどいい