先日親戚の葬儀に出てきました。
非常に博識で、意欲もあり、体力もありましたがご高齢、さらに病に倒れたことで最終的には積極的治療をしない形で他界されました。
生前は、定期的に連絡をくれて、子供たちがかわいい!とたくさんほめて下さいました。
見事な終活を見た
こんなに見事な終活というのが存在するのか、というのを目の当たりにしました。
- 5年以上前から年賀状終い
- 定期的に子供や孫に会う
- 書籍出版の夢をかなえる
- 施設に入る
- 免許返納
- 庭終い
- 畑終い
- 葬儀プラン(家族葬)
生前はたくさんの人と交流していたので、広告など出せば多くの参列者が来たと思いますが、完全に家族葬で、各種法事も行わない、とのこと。
葬儀そのものも本当に和やかで、ただの正月の集まりかと思うくらいでした。
読経や説法も長引かず、会場となった場所もみんなが泊まれて、きれいでとても楽でした。
残された人たちの為に
故人の配偶者はまだご存命で、認知症の為、残された家族に負担にならないようにそのようにされたのだなと容易にわかりました。
遺作となった書籍も、人柄が伝わってくるものでした。
自分がこのころにはしっかりと終活できるものなのか?とまだ信じられませんが、目標としてもいいなと感じられました。
残された家族ができること
定期的に残された故人の配偶者に会うこと
他の親戚とまめに連絡をとること
故人の作品を読むこと
子供や親を大切にすること
幸せであること
これらを望んでいたように思います。
故人の配偶者は施設に入居しているのと、物理的に距離があるのでなかなか頻繁には会えませんが、他の親戚たちと予定を合わせて、顔を出したいと思います。
自分の親について
私個人の親はというと、父は10年以上前に他界、母は鶴居村で元気にやっているようです。(ただし心臓に爆弾を抱えている)
定期的に家庭菜園や子供たちの写真をおくりつけ、1,2年に1回は訪問できるようにしています。
そろそろ子どもたちが大きくなってきたので、夫に子供たちを預けて私だけ行くパターンもしたいのですが、なかなか提案すらできません。
いろいろありますね。