少し前に親戚の集まりに出まして。
初めて会う人達がけんけんがくがくしてまして、ファー!と思ったので、書きます。
法事って結構喧嘩するよね
子供の頃、祖母が亡くなって、寝ずの番とやらで線香を立ててました。
いつもより太くて長い線香が珍しくて、何回もやってたな〜。
そんな中、酔っぱらった大人たちがあーでもないこーでもない、と何か言い合ってるのをよく思い出します。
今は亡き父が母方の祖母の葬式で「1+1は2じゃないんだよ!!!」となんか言ってたのが個人的には印象に残っています。なんのことだったんだろう?
兄弟げんかはやめて
初対面のいとこたち。お酒が入って長子と第二子がバチバチにやり合っていてびっくりしました。
まだ20代後半くらいだったので、いろいろと思うことがあるんだろうな、と。遺産関係ではなく、人間関係的なことでもめていました。
これを見て、「まだ相手に期待してるなんて若いなぁ」なんて思ってしまい、自分が急激にオバサン化したなと気づきました!笑
相手も自分も変えるのは難しい
人間性そのものを変えるのって難しくないですか?
「大人になったんだから変わってよ」とか、「受け取り方を変えなよ」と相手には思ってしまうかもしれませんが、もうそのあたりは結構あきらめというか、無理なんだなと悟り始めました。
変えられるのはおそらく自分の行動のみなのでは、と。
気持ちも体も一瞬では変えられないけど、
座る⇒立つ
ごみをそのままにする⇒ごみを拾う
など、行動はどんなことを考えていても変えることができますよね。
相手が変わってほしいなら自分から
相手が変わるべきと思う場面はいくらでもあります。
だけど、自分がそう願うならできる働きかけが何かあるかもしれないし、無視してしまうのも一つだし、相手が変わらなくても大丈夫なようにできるかもしれない。
どうして相手に変わってほしいのか、変わることで自分が何を得るのか、相手が変わることで相手が何か損をしないか、少し考えて「こうしてほしい」と伝えないといけないですね。
夫婦の関係もなんとなく気を遣おう
きょうだいや親子以上に、配偶者との関係や会話も気をつけないといけないなと思いました。
友人がパートナーに「ありがとうとか、ごめんとか、クッション言葉をつけてほしい」とお願いしたところ、「そんなことをいいつつ心の中では別のことを考えている人が多いから、家族でわざわざつける必要はないと思っていた、でもあなたには必要なんだね」と言われたそうです。長年一緒に暮らしている夫婦でも、一緒に育ったきょうだいでも、やはり気づかいと「きづかいのしぐさ」は必要ですね。
帰ってきてから、「やっぱりあなたは最高」と伝え、今まで何となくまかせっきりにしていた片付けをさりげなくやっておきました。(いつもやれ)
どれだけ相手を大切に「思って」いても、相手が愛情を「感じられる」状況にもっていかなければ全く意味がないですよね。
植物や動物の世話をするのに適切な処方があるように、それぞれの人にとって、何が快適で何が不快で何が幸せなのか、そういうことをすり合わせ、尊重し合うことが必要だと思います。
自分にできることを精一杯やる、方向は相手にきいてみてもいい
自分を変えましょうというと、自分の中でだけで考えて、「おれのかんがえたさいきょうの・・・」みたいな独りよがりな結果になり、「せっかく頑張ったのになんだよ!!!」とがっかりすることも多いです。できることはやり、相手の為にしたいとおもうなら「こんなことをされたらどうかな?」と聞いてみるのもいいと思います。
営業などの提案と同じように、「AとB有りますけどどちらの方がよさそうですかね?」と聞いてみるのもいいんじゃないでしょうか?
私はというと、一人で外出したいけど夫は一人で遊びに行ったりしなくていいのか?と度々聞いています。毎回「不要」と言われるので逆にちょっとやりにくいのですが、確認すれば「一応聞いてくれているな」とおもうだろうし(私は思うし、その時に要望を言いやすい)、話すきっかけになるのでそうしています。
自分が心地よく過ごすために
他人に変わってほしい、と願うのはだいたい自分が何もしないで心地よくなりたいという欲望なんですよね。
私はそうです。
あー、何もしなくてもきれいに痩せてセンスいい服が届かないかな、おいしい物が安く手に入って、有給たっぷり使っても誰にも気兼ねしないで子供たちは健康で賢くて母のことを思いやってくれないかな
とか、欲望まみれです。
でもそんなこと無理だし!
相手の感情が揺さぶられたり都合が悪くなったら終わってしまいますよね。
自分の手で、出来ることだけはやる、言うべきことは言う、そんな風に暮らしていければいいなと思います。
以上
最終的に動機づけが大切になってくるんですけどね。マインドを変えるのも行動ですね。
たまごが先か、鶏が先か、になりますが・・・。