八日目の蝉を観ました。
幼少期まで父の浮気相手に誘拐され、誘拐犯を母親だと信じて愛していた少女。
本当の家族のもとに帰っても家族としてうまく関係を築けない。
少女は大人になり、家庭ある男性の子供を身ごもってしまう。
ライターと名乗る女とともに、誘拐犯と過ごした場所を巡り、当時のことを振り返るストーリー。
人をすきになるということがどういうことか分からない
たまにこういうことを言う人っていますよね。
「恋って何?」とか。知るかそんなこと!自分で考えろ、という想いを胸にしまって、「どういうことなんだろうねぇ。わかんないねぇ。」と返答しています。
劇中の主人公は、不倫相手の男性から「愛してる」「好きだ」と言われてもいまいちピンとこないと言います。
小さなころ一緒に過ごしていた誘拐犯のことを母親として愛していたのに、そういうことを言ってはいけない、と学習してしまったのです。
母親の気持ちも分からなくはない
劇中で、主人公の母親はヒステリックな描かれ方をしています。
夫に浮気され、相手の女(誘拐犯)は一度夫の子供を身ごもります。しかし中絶し、子供を産めない体になりました。自分は子供を授かり、やっと再スタートを切ろうとしていた矢先、最愛のわが子が誘拐され、何年も養育のチャンスを取り上げられる。最終的に帰ってきたわが子は、自分のことを母親として認識していない。時には、子供が「おばちゃんに誘拐されている」と交番に駆け込む。
こんな悲しいことってあるでしょうか。
なんだかとっても悲しい。
受けた愛情が深くて、温かくて、どうしても抜け出せない
誘拐犯との日々が、ものすごく幸せそうなんですよ。
最初はミルクの作り方もわからなくて、事情を知らない友人を頼ったり、とにかく逃げまくる。シェルター的な宗教団体の施設に入ってしばらくは生活して、そのあとは田舎に逃げて、最後は捕まってしまう。
きれいなものをたくさんみせてあげるよ。
そう話す誘拐犯がもう本当の母親のように思えてくるのは仕方のないこと。
出来るだけのことをこの子にしてあげたい。誘拐犯の母性がさく裂しています。
好きだ、たまらなく好きだ。
物語の終盤、最後に一緒にすごした場所へ訪れます。
思い出の場所を巡ることで主人公の記憶がどんどんあふれてきて、誘拐犯のことを大好きただったこと、そして今身ごもっているまだ見ぬわが子が好きで好きでたまらない、と打ち明ける。
自分は幸せだった、あの時はこの場所も、あの人も好きだった、そんな気持ちを大切にしたい。
自分が好きなことがなんなのかって、たまにわからなくなるんです。先日、父のことを書いたのですが、家族から嫌われていた父のことを好きでいてはいけないと思っていたことがありました。(父と娘の関係 - てけれっつのパ)
全然レベル?の違う話ですが、誰かが好きだから、私も好きでいよう、嫌いでいようって意外とあるんじゃないかなと思います。
八日目の蝉は幸せなのか?
蝉は何年も土の中で土の上に出る準備をし、7日間だけ鳴き続けて死んでしまう。
序盤にライターとこんな話をします。
八日目の蝉って、どんな気持ちなのかな。
七日でみんなが死んでしまって、一人ぼっちになったら。
主人公は「さみしいんじゃないかな」と答えています。
確かに、他の仲間はいない。鳴くのは繁殖の為で、そのパートナーもいないわけだから一人でミンミンジワジワ鳴くのはなかなかに辛い。
全く関係ないけれど、東京で初めて蝉が目の前で木から落ちて死ぬ姿を見たときはとてもショックだった。落ちてからも細切れにジジジジ!と暴れるのでめちゃんこ怖いのだ。
最後に住んでいた場所へ行き、色々なことを思い出してこう言います。
八日目の蝉はさみしくなんかない。
ほかの仲間よりたくさんのきれいなもの、知らないことを知ることができるから。
自分の気持ちを大切にするということ
周囲からのプレッシャーやなんかで、「自分はこれが好きなんです」と言えない人が増えています。
小さいころは好きなものはこれ!将来はこんなことをするの!○○君が好きだよ!と恥も外聞もなく言えていましたが、大人になるとだいぶ減りますね。
Aさんを応援しています!とSNSやブログに書くと「そんなやつを応援するなんてとんでもない!」と言ってくる人は少なからずいます。「ほかの人の目にも留まるんだから不用意な発言をしないでよ」とも言われるかもしれません。
たしかに気を付けなければならないことはたくさんあるかもしれませんが、そういう気持ちを表に出せなくなるのってとてもつらいなぁと感じるのです。
いいたいことも言えないなんて。ぽいずん。
壁ぶっこわす回が大好きです。
好きなことは好きでいい。
あきらめたっていい。
変わったっていい。
そう自分にも自分の身の回りの人にも言える人でありたい。
以上!