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てけれっつのパ

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不登校になっていたかもしれない

http://92-output.hatenablog.com/entry/2017/05/08/子供から「学校に行きたくない」と言われたとき

 

こちらのブログを読んで、自分も不登校になるかもしれなかったなぁなんて思い出した。

とちょっとかんがえた。

転校したんだよなぁ

それはそれはのどかな酪農の村、鶴居村

小学校の全校生徒は100人にも満たず、自分のクラスは19人しか居なかった。それでも多い方だった。

私が小学四年になる年に釧路市に引っ越し。父は鶴居村で勤務だったけれど、おそらく子供達の進学のためだと思う。理由は特に聞いていない。

アホの子?

当時の私は絵に描いたようなアホの子で、勉強に対して興味関心が全くなく、それに対する危機感も全くなく、口癖は「まぁいいじゃん」というタチの悪さだった。

小学四年になるというのに掛け算九九もマトモに言えなかったし。漢字もやばかったな。

身の回りの事もそうとう杜撰で、通信簿に毎年書かれたのは「忘れ物が多い」というコメント。両親は忙しく、末っ子の私の時間割りを一々確認するような事はしなかった。ランドセルを持たずに登校したり、遅刻して全校集会に遅れてしまう事も何度もあった。

転校前は必要なかったランチョンマット(なんかお弁当包むやつ?)は週に三回は忘れていた。

こうやって書くと虐待児?と思ってしまうくらいだけれど、本人は明るく過ごしているし、鶴居村の学校は好きだった。

出来ないことをあげつらうような生徒も先生もそんなに居なかった。さすがにそこまで出来なかったらもうちょっとコメントしてくれてもいいのになと今振り返ると思ってしまうが笑。

もしかしたら母親や兄達は私の事で何か言われていたかもしれないが。

転校初日からやなかんじ

ひとクラス40人くらいいて、ひと学年3〜4クラスある学校に転校した。

私の他にも転校生が二人いて、まぁつつがなく自己紹介をして席に着いた。

始業式やら何やらが終わって帰りましょうという時に、先生が近所に住むクラスメイト三名へ私を送るよう指示した。

途中で一人減りもう一人減り、最後の一人になった時、急にこんな事を言われた。

 

「しずさんて、ダサいよね」

 

衝撃だった。

確かに私は上下ジャージだったけれど、ジャージの子供なんて他にもいたし、その日着てたのは自分の中ではお気に入りのピンクのジャージだったのだ。(ショッキングピンクだけどな!)

というより、そんな事を初対面の人に言われるなんて思いもしなかったし、だから何なのだ?私にどうして欲しいんだ?と固まってしまった。

とりあえずこれで「明日もこいつと顔を合わせんのかよ、超めんどくせえ」と思ってしまった。

勉強が出来なさすぎて凹む

鶴居村では特に気にせずにいた「勉強が出来ない事」がここにきて深刻化する。

当時の担任の先生は高齢で、そろそろ定年退職を迎える方だった。

教え方も年季が入ってて、出来ないやつや忘れ物をしたやつを後ろに立たせるという何とも古風なやり方を取っていた。

毎朝掛け算九九の百ます計算?をさせられ、出来ない私と他数名(そういう子が他にもいた)。

毎日立たされてとても恥ずかしかった。

初めて「勉強が出来ないって恥ずかしい事なのか」と気づいた。

出来ないヤツに対して子供は冷たい

スクールカーストなんて言葉は比較的最近の物だけれど、やはり昔からそういうものはあるわけで。

転校して数日にして私はそのド底辺にランクインした。

見た目もパッとしない、勉強出来ない、遅刻しがち、忘れ物が目立つ

という特徴を持っていれば、まぁ特別な事がない限り積極的に関わってくれる人はいないだろう。

小学生なら尚更だ。

ちょこちょこ休むようになる

環境の変化や季節の変わり目で一度風邪をひいた。

小4くらいなら相当熱が高いだとか症状が重くない限り親がいなくても一人で寝かされる。

学校を休んでいる間、前なら「早く学校に行きたい」だったのに「もうこのままずっと家にいたい」に変化した。

それから「なんか頭痛い」「お腹痛い」などちょっとずつ仮病を使って休むようになった。

この辺の記憶は曖昧だけれど、母親は「そう」と言って特別理由も聞かず休ませてくれたような気がするし、「学校に行ったらどうか」と何回か言われたような気もする。

無理強いは基本的にされなかった

母親は子供を四人育てているけれど、基本的に無理強いはしない。

子育てというより観察に近いスタンスで私たちと関わっていたような記憶。それを私は放牧スタイルと呼んでる。

勉強も習い事も、やりたいといえば大体やらせてもらってやりたくないといえば辞めればと言われた。ただし、やる時もやらない時も自分で問い合わせとかしなきゃいけない。(それが普通なのかもしれないけれど)

クラスメートが母親から勉強しろと言われるのが不思議で、ちょっと羨ましく思うこともあった。

運良く学校に行けるようになった

学校に行きたくないということは母親に伝わってはいたと思う。理由は話さなかったけど。

話したところでどうにかなると思わなかったし、どうにかなるものでもないし。

ちょこちょこ休んではいたけれど、優しくしてくれるクラスの子と少しずつ打ち解けて、小4にして初めて「勉強を頑張る」という行為を行った。

たまたま仲良くしてくれる人が真面目な子で、長期休みの宿題は初日にやるというタイプだったのと、色々質問しても嫌な顔しないで教えてくれる人だったので学校の成績は大層伸びた。

自宅でも九九の表を色んなところに貼って覚えた。

それからは仮病で休むということはほとんど無く(全くではない笑)、そこそこ楽しい学校生活を送れるようになった。

学校に行かなくなるという理由は人それぞれ

嫌なことが立て続けにあると、やっぱり学校のことが嫌いになる。

先生とそりが合わないとか、友達とうまくいかないとか、勉強が嫌いとか。

他の人から見たら「そんな事」って思うような事が自分にとっては大きな事だったりして。

もし自分の子供が学校に行きたくないと言いだしたら、やっぱり「まぁ行かなくてもいいよ」という態度を取っておきたい。

もし自分の母親があの時「学校に行け」と言っていたら、家にも自分の身の置き所が無くなって、寂しい気持ちになっていたと思う。

 

今日は長くなった。

ただの思い出話。

 

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以上