中学生の時、バスケ部に所属し、最後は部長をやっていました。
委員会で遅刻。するとそこには2人しかいない
何故か私だけスタートメンバー。同学年から孤立している気配
登校拒否ならぬ、登部拒否(7日間)
突然の呼び出し、全く理解できない
部員の事を全く把握していない部長、誕生す
上の学年が受験等で引退。とうとう私達の代が来ました。皆が気にしているのは「誰が部長になるか」です。個人的には、誰が部長になってもメニューも作戦もメンバーも先生が決めるので、なりたい人がなればいいなと思っていました。そして、私はやりたくねーなと思っていました。
実際、やりたがっている人が2人居て、その2人ともが私から見ると無駄に血気盛んだったからです。何故そんなに対抗意識を燃やすんだろう?人の邪魔をするんだろう?それよりも、先にやる事があるのに。とぼーっと眺めていました。
結果としては皆のことを一番分かってないのに、知ろうともしてない私が部長になった。やる気も無かったので指名された時はびっくりした。まぁ、先生の指示通り普通にやればいっか、と他人事のように受け止めていた。
部長になりたかった2人からは冷たい目線を送られていたけれど、そんなの知らない。辞退も出来ない私は、やるべき事をやるだけ。
部長になってからも、人間関係については無視。
卒業して10年以上経って明かされる内情
卒業してからは中学の部活のメンバーと殆ど会っていません。唯一、副部長だった子とは今でもたまに連絡を取り、先日会った時に当時の事を教えてもらいました。
皆に理解が全く無かった私に比べ、副部長だった彼女はいろいろな子から好かれ、相談を受けていたからです。
メンバーの間でのいざこざ、顧問とも揉めていたこと、揉め事が無かったゆえに私が部長になった事、皆の想い。
部長になった理由は何となく気づいていましたが、本当にそんなしょーもない理由だったとは!と同時に、本当に皆のこと知らなかったんだなと若干寂しい気持ちになりました。そして、その面倒ごとを全て彼女に任せてしまっていた事を詫びました。
他人を気にし過ぎないことで、自分を守っていたのかもしれない
面倒ごとについて謝った時、副部長だった彼女は笑って答えました。
しずはそれで良いんじゃん?
あまりにアッケラカンとしていて、拍子抜けしました。恨み言の1つでも言ってよ、なんて言ってみたり。
周りがわさわさしていたのは気づいていたけれど、故意に無視していたんだなと今思い返すと感じます。そうじゃないと、やってられなかったんじゃないかなーと。自分に向けられた敵意や、周りに何となくある面倒ごとをスルーしていく。文句があるなら直接言え!言わないなら、無かった事にしますよ。と。
スルーは得意技だと思ってます
今でもそういう考え方します。
良くないなと思う事もありますが、目の前にない事を考えすぎると目の前にある事が疎かになってしまう。一定の場所まできたら立ち止まって考える、目標を定めたらそこに向かって目の前の事を片付ける。いつまでも上や遠くばかり見つめていたらつまずくし、首も痛くなる。
目の前以外のものは、とりあえずスルーで!
そのくらいでもいいと思うんです。
ジコチュー上等!
中学生の時は、自分の事が精一杯で、他の事を考えたく無かったんだろうなと思います。めちゃくちゃ「ジコチュー」ですね。
喧嘩は最低限にしようね。
基本的には負の意味で使われますが、最近の人は周りを気にし過ぎている。周囲の評価に縛られすぎている。そう思う事がたくさんあります。
他人がどう生きていようと、自分の生き方が大きく変わるわけではない、どう評価されても自分自身が変わるわけではない。自分がどうしたいと思って、どうするかが大切なんだと思います。
交差しなくていい、平行線がいい
人の気持ちに寄り添えない、と悩んだ事があります。
今は無理して人の気持ちにアクセスしなくても良いと思っています。平行線でも良いと思ってます。むしろそういう関わり方を望む人もいます。おせっかい不要!と言ってくる人にはちょうどいいポジション。
自分が自分で居られる形で、出来ることをやっていければそれでいい。
無理に場所や他人に合わせなくていい。
そういうことを思い返しました。
今日長くなっちゃったー!!
分けたら良かったけどこれが1つなので笑
今日土曜日だし、いいよね?
以上!!